平成13年 7月 1日

参院選にあたり、各政党に強く訴える

日本経済再生政策提言フォーラム
理事長 加瀬 英明(国際問題評論家)
事務局長 丹羽 春喜(大阪学院大学教授)

政府の構造改革政策は決定的な誤り

  わが国民、とりわけ、中小企業で働いている大多数の人々にとってみれば、六月下旬に閣議決定をみた経済財政諮問会議(議長・小泉首相)の「経済・財政運営の基本方針」は、きわめて失望的なものでしかなかった。それに盛られていた数多くのいわゆる構造改革的な施策は、ことごとく、いわば重箱の隅を楊枝で突くようなミクロ的「制度いじり」にすぎず、景気振興のために最重要であるべき「マクロ政策」としての総需要拡大政策は、全く欠けていた(このような欠点は、森内閣の末期の四月六日に政府・与党が公約した「緊急経済対策」においても見られたところであった)。最重点施策とされている不良債権処理の促進ということなどは、倒産を多発させ、不況をいっそう激化させる危険性が濃いことが明らかである。

  このような小泉内閣の「構造改革」一辺倒の政策スタンスは、根本的に誤っていると言わねばならない。なぜならば、このような構造改革では、総需要が増える公算がきわめて乏しいからである。こういった構造改革がマクロ的に総需要を増大させるという論理的必然性は、事実上、皆無である。そして、総需要が増えない以上は、わが国の経済が成長を再開し、再生・再興の軌道に乗るということは、ぜったいにありえないこれは、経済の鉄則である

  もしも、需要の伸びに対して商品の生産・供給が追いつかないといった事態が生じて、インフレ・ギャップが生じているような状況ならば、たしかに構造改革が必要であろう。しかし、過去二十年間、わが国においては、マクロ的に、需要に対して商品の生産・供給が追いつかないといった状況が生じたことは全くなかった。現在も生じていない。ミクロ的にも、諸商品の需給のミス・マッチなどは、ほとんど生じていない(GDPに占める在庫変動額の比率が、わずかに 0.1 〜 0.5 パーセントにすぎないということが、このことを端的に示している)。つまり、需要に対する企業サイドからの諸商品の生産・供給は、きわめて敏速・的確に行われており、需給は見事に均衡しているのである。この意味で、わが国経済の市場メカニズムは、現在も立派に機能している。隘路も生じてはいない。すなわち、わざわざ国家政策としてまで構造改革を促進しなければならぬといった理由は、皆無なのである。

  ただし、総需要水準が低く停滞させられてしまっているために、諸商品の需給が見事に均衡しているといっても、そのマクロ的需給均衡点――いわゆるケインジアン・クロス点――それ自体も低水準に留まることを余儀なくされてきた。したがって、わが国の経済では、生産能力の面で、資本設備についても労働力についても、稼働率の低下や失業が――すなわちデフレ・ギャップが――長年にわたって膨大に生じ、それが拡大してきている(ただし、旧経済企画庁はこのデフレ・ギャップの発生・拡大の状況の計測・公表を怠り続けてきたのであり、われわれは、そのことを痛烈に批判してきた)。付図が示しているように、完全雇用・完全操業状態で達成可能なはずの「天井」とでも呼ぶべき潜在実質GDPの可能上限は、九十年代末で年率八百数十兆円の水準にまで達している。しかも、この「天井」が今でも若干は上向きで上昇傾向──いわゆる「潜在成長率」──を保っていると算定しうるのであるが、総需要が不足・低迷してきたことによって、実際の実質GDPの水準は、現在、この「天井」よりも四割以上も低い年率480〜490兆円程度(90年価格評価の実質値)にとどまっている。つまり、デフレ・ギャップが40パーセント以上にも達しているのである。このデフレ・ギャップという形で空しく失われてしまった潜在実質GDPは、過去二十数年間で、合計4000兆円にも達する。このような状況がもたらした所得の低下や伸び悩み、無数の倒産、廃業、失業、資産価値の崩落、等々、によってわが国民が嘗めた辛酸の激しさ、膨大さは、まさに、筆舌につくしがたいものがある。しかも、この大惨害は、わが国民が怠惰であったといった事情で起こったことでは、断じてない。これは、ひとえに、わが政府の総需要政策の誤りと不適切によるものであった。これがわが国の「経済敗戦」の実情である。

  しかし、この巨大なデフレ・ギャップは「生産能力の余裕」にほかならなず、これこそがわが国の社会が持っている「真の財源」だと考えるべきである。この「真の財源」があるかぎり、総需要が十分に増やされさえすれば、たちどころに、わが国は「右肩上り」の高度成長経済を再現しうるのである。

  ところが、近年、竹中平蔵氏など政府の政策立案担当者たちは、「潜在成長率」の低下が日本経済の成長を制約して不況・停滞をまねいているのだと言いはじめ、それを構造改革政策の必要性への理由づけとしてきた。しかし、そのような理由づけは、全くの誤りである。なぜならば、そもそも「潜在成長率」とは、完全雇用・完全操業での潜在実質GDPの可能上限という「天井」の勾配のことであるからである。企業が低稼働率の設備を廃棄し人材も大量に解雇しはじめているとはいえ、今はまだ、この「天井」は、実質GDPの実際値の水準よりもはるかに上方に離れて上向き勾配で位置している(付図参照)。したがって、「潜在成長率」(「天井」の勾配)の高低といったことは、現実の日本経済の回復・成長への制約には、全然、なってはいないのである。

  要するに、現在のわが国経済では、諸悪の根源は、総需要の低迷という「需要面」の欠陥にある。「供給面」には構造的な問題は無い。したがって、需要サイドからの「総需要拡大政策」の緊急な必要性を否認し去って、「構造改革」政策をもってそれに代えよと叫んでいる小泉内閣の政策スタンスは、まさに「決定的に大きな誤り」に立脚しているものであると言わざるをえない。

危機の深刻化と暴論の横行

  わが国の経済と政府財政とが、現在、深刻きわまる危機にあることは、周知のところであり、最近では、あらゆるメディアがそれを強調している。週刊誌なども、ほとんど毎号、センセーショナルにこれを書き立てている。吉田和男氏(京大教授)や野村総研といった専門学者や一流の大手シンク・タンクなども、わが国の経済と財政が決定的な破綻状態に陥りつつあり、それから脱出する方途を工夫するといったことは、もはや、事実上、不可能になってしまっているとする、いわば「匙を投げた」ようなシミュレーション分析の結果を公表するにいたった。

  いずれにせよ、わが国の経済と財政がきわめて深刻な危機的状況に陥っていることは確かであり、自暴自棄的に、極度の苛斂誅求による増税と徹底的な財政支出の削減を提案している向きも多くなってきている。しかし、そのようなことを強行すれば、経済の不況と国民の窮乏化がその極に達し、政府の財政収入も激減して財政破綻がいっそう深刻化することは必至である。

本当に必要な救国の「切り札」はこれだ!

  いま、なすべきことは、そのような自暴自棄的なことを叫ぶことではない。冷静に、なにが本当に必要かを考えるべきである。すなわち、すこし考えれば、誰でもがすぐにわかるように、「財政再建」をいわば瞬時に達成して、政府の累積債務のうち少なくとも二百数十兆円ぶん程度を即時償還する──われわれは、過剰流動性問題の発生を避けながら国債の大量償還を行なう方法をも工夫して、すでに提言してきた──とともに、ここ二、三年、たとえば、とりあえず全国民(老人から乳児までの)に一人当たり年額数十万円程度のボーナスを政府が支給する(国民の銀行口座に振り込む)といった大規模なケインズ主義的景気回復策を断行することによって、100パーセント確実に日本経済を復活・再興させることが必要なのである(もちろん、それとともに、社会資本・社会保障の充実、自然環境の改善、防衛力の整備、等々、を積極的に行なうべきだ)。そのためには、たとえば、当面、400兆円程度の新規の政府財政収入を、租税にも国債にもよらずに、そして、国民(現世代も将来世代も)にまったく負担をかけない形で確保することが必要だということである。言うまでもなく、このことが、これまた100パーセント安全確実かつ容易に可能になるのは、本フォーラムが提言し続けてきたように、いわば明治維新成功への財源確保の決め手になった「太政官札」(不換政府紙幣)発行の故知にならって、現行法でも明記されている「政府貨幣」(日銀券ではない)についての「国(政府)の貨幣発行特権」(セイニアーリッジ権限)を、直接あるいは間接に、大規模発動した場合のみである(セイニアーリッジ権限については「通貨の単位および貨幣の発行等に関する法律」昭和六十二年六月一日、法律第四十二号、第四条参照)。それをためらっていれば、わが国は事実上滅びるのである。しかも、すでに産業界が「真の財源」をつぶしはじめているのであるから、時間はあまり残されてはいない。

  具体的には、われわれがここ数年くり返して推奨してきたように、政府が無限に持っている一種の「無形金融資産」である「国(政府)の貨幣発行特権」のうちの、400兆円ぶんの「政府貨幣発行権」を政府が日銀に売却する(売却しても政府の発行権は減りはしない)という間接的な方式が、最も手軽で実行が容易であろう。日銀としても、この巨額の「政府貨幣発行権」という超優良資産を政府から有利な条件(若干のディスカウントをしてもらう)で買い取って取得しうるとなれば、日銀自身の資産内容を大きく改善しうることになる。その代金の莫大な金額が記された日銀の「保証小切手」が政府に渡されて、政府の財政収入になるわけである。もちろん、国債発行の場合とは違って、この方式で政府が新規財政収入を得る場合には、それが400兆円といった巨額のものであっても、政府は、それに対して利息を支払ったり元本を償還したりする必要などはまったく無く、それは政府の正真正銘の財政収入になるのである 担保も不必要だ国民(現世代も将来世代も)の負担にも全くならないこれこそ、まさに「打ち出の小槌」であり「救国」の秘策なのである

  確かに、従来は、政府によるセイニアーリッジ権限の大規模発動は「禁じ手」のタブーだとされてきた。しかし、これが「禁じ手」として扱われねばならないのは、経済が完全雇用・完全操業に近い状態にあってインフレ・ギャップが発生しやすいようなときにかぎるのである。しかし、現在時点のわが国の経済は、超巨大なデフレ・ギャップの存在下にあり(付図参照)、インフレ・ギャップ発生の危険性は皆無である。したがって、政府によるセイニアーリッジ権限の大規模発動ということも、けっして「禁じ手」ではなく、その逆に、「救国の切り札」そのものなのである。今は、わが国がまさに滅びようとする危急存亡のときである無根拠なタブーに縛られてこの「救国の切り札」の活用を嫌っていてはならない。ところが、今のところ、小泉内閣には、この重大なことへの認識が全く欠けているように思われる。深憂にたえない。

  先入主的な偏見を棄てて虚心に考えれば、上述の「救国の切り札」こそが、現在のわが国経済の窮境を打開しうるほとんど唯一の「決め手」であることが、わかるはずである。いま、わが国民(庶民)が心の底から熱望している政策は、まさに、これである。国民のこの熱望に応え、上記の「400兆円プラン」のような「救国の切り札」の実施を責任を持って公約することを決断しえた政党は、近く行われる参院選において、圧勝しうるであろう。わが国の各政党は、今こそ、このことを真摯に理解するべきである。

閉じる